2015-06-06 11:35:44テーマ:店主の仕事のはなし
2000年3月。34歳になる歳に次のステップとして、私に足りない加工・販売のノウハウを得るため農協を退職しました。
この時私には8歳を先頭にに3人の子供がいましたので、周りの人にはとても心配されましたが、年齢的にも目標にチャレンジするにはギリギリだと思っていたので、行動を起こすのに迷いはありませんでした。
一年と少し、イタリア料理系の洋食店で働きながら大阪の調理師学校で主に西洋料理を勉強しました。
西洋料理を選んだのは北海道の気候風土や生産される農産物がヨーロッパをイメージさせたのと、チーズやワイン、生ハムなどの保存食品、発酵食品をはじめとした食文化を知ることが自分の今後に役立つと考えたからなんです。
2001年9月。35歳で、商売を身につけるのは実地で経験するのが一番と考え、現在の場所でレストランを開業。起業しました。
イタリア料理店として開業した当初、私はトマトソースを作るために、国産の加工用(調理向)トマトを使いたいと考え探しましたが、あるのは輸入品ばかり。国産品は缶詰も生鮮品も流通してなく手に入りませんでした。しばらくは輸入のトマト缶を使いながら、いろいろ探したのですが、やはり見つかりませんでした。
この事がとても大きなきっかけとなり、国産の加工用(調理向)トマトのことを調査研究し、検討の末、加工用トマトを自分で作ろう。これで農業に参入し長年思い描いていた事業への一歩を踏み出そうと決意しました。(2008年、42歳)
子供の頃からの目標であった農業にトマト生産で参入する。祖父が生前、最後に一生懸命作っていたのがトマトでした。農業に力を尽くした祖父もきっと応援してくれている。そう思っています。
そこで農業参入の準備として、まず2つの事を始めました。ひとつはこの地で生産でき、なおかつおいしい加工用トマトの品種選定のための試験栽培。
もうひとつは、現在北見で生産されている生食用トマトを使って、当面利用できるトマトソースを作ること。このような取り組みをして現在に至っています。